十一面観音菩薩立像
- 重要文化財
- 鎌倉時代中期頃
古典的要素を多分に見せる造形。
江戸時代後期以降、これに倣った版木や古文書が存在し、本堂とともに焼失した中門観音の霊験を継ぐ御前立像であった可能性も指摘されています。
写真提供:奈良国立博物館

寄託中
奈良国立
博物館

中世・江戸期に盛んであった観音信仰や八雷神面厄除信仰にまつわる寺宝や国宝の薬師如来を継承し、さらに元興寺の起こりを世に伝え続けるべく法相宗の本尊である弥勒仏や日本仏教の祖ともいえる道昭和上像をお祀りさせていただいております。
古典的要素を多分に見せる造形。
江戸時代後期以降、これに倣った版木や古文書が存在し、本堂とともに焼失した中門観音の霊験を継ぐ御前立像であった可能性も指摘されています。
写真提供:奈良国立博物館

寄託中
奈良国立
博物館
国宝 薬師如来立像は一木造の仏像で、詳しい縁起は伝わっていません。かつては大塔に安置されており、塔が炎上した際、近隣の璉珹寺の僧侶によって担ぎ出されたと伝えられます。その折、僧が心中で「お助かりになりたいのなら、どうか私の肩につかまってください」と祈ると、不思議にも容易に運び出すことができたという逸話が残されています。
写真提供:奈良国立博物館

寄託中
奈良国立
博物館
東大寺上之坊俊雄師発願により、宝山湛海指示のもと京都仏師清水隆慶が制作。
写真提供:飛鳥園
地蔵菩薩立像は木造彫眼漆箔。
春日野の地下には地獄があるという考えが中世にて広まりました。奈良町でも地蔵菩薩様は、古来より春日明神様の本地仏(元の姿)で、地下地獄から救済してくださるもの、地蔵様の数が多いほど救済力も強くなると考えられたようです。
増長天・広目天は大仏殿様の鎌倉時代の作。四天王は幕末の火災で救い出されたものの、持国天・多聞天の破損が著しく、この二天は昭和九年奈良町仏師石原父子により新たに制作されました。
東大寺南大門仁王像に倣って配置されたものと考えられます。
東大寺上之坊俊雄師発願により、宝山湛海指示のもと京都仏師清水隆慶が制作。
写真提供:元興寺文化財研究所
6-7世紀に蘇我氏が関与し飛鳥寺に使われた礎石と同質・同年代のものが当寺に運ばれてきています。
京都の下村家がこの燈籠を持ち帰ったが、毎夜「帰りたい」と啼いたことから気味悪くなり再び元興寺に返したという伝承があります。
昭和初期の「元興寺大鏡」刊行を記念して奉納された。薬師寺仏足石に範をとった双式仏足石。