特別拝観(土曜日・日曜日・祝日など)
- 3月末~4月10日頃
- 春-特別拝観
- 6月7日~21日頃
- 紫陽花-特別拝観
- 9月14日~21日頃
- 萩・彼岸花-特別拝観
- 10月中旬~11月初旬頃
- 金木犀-特別拝観

元興寺五重大塔の高さは約49メートルと推定されています。
この大塔は、奈良時代よりこの地にて僧侶たちや、地域の人々に守られ、維持されてきました。度々の修理のために勧進により多くの喜捨が募られました。
しかしながら1859年、修理の最中、近隣火事の延焼で全焼してしまいました。このときの修理の為につくられた実測によると言われる立面図が現存しています。国宝薬師如来立像は炎上の際、この大塔に安置されておりました。近隣の璉珹寺の僧侶に担ぎ出されたと言われ、その際、「お助かりになりたいのなら、
早くわたしの肩におつかまりください」と僧が心の中で祈ったところ、簡単に担ぐことができたという逸話が残っています。
十七の礎石はほぼ完全な形で残り、国指定の史跡として登録され、日本では希少な例となっています。
写真提供: 元興寺文化財研究所
調査により、境内に点在する礎石が室生地域産出と思われる火山性岩であることが判明しました。この種の石は六世紀に蘇我氏が関与して飛鳥寺などの礎石として積極的に利用されたもので、年代的にも一致しており、はるかいにしえに飛鳥より平城京にもたらされ、今も仏教法興の法灯を守る元興寺境内に安置されています。
啼燈籠という名称は、18世紀半ばに京都の下村家が新しい石燈籠を奉納し、代わりに元興寺の石燈籠を京都に持帰ったが、毎夜南都を向いて「帰りたい」となくことから気味悪くなって再び元興寺に返したという伝承に由来します。結果、元興寺には石燈籠が二基残り、今日に至ります。大和名所図会(18世紀末)の当寺院図にはすでに2基の燈籠が描かれています。
奈良時代元興寺大伽藍にありしこの地の僧房に中門観音を移して以来この堂宇は観音堂と呼ばれ、南都観音信仰の中心地となりました。しかし、幕末の大火で大塔とともに焼亡。昭和の復興時に本堂として再建されました。
昭和初期の「元興寺大鏡」刊行を記念して奉納された。薬師寺仏足石に範をとった双式仏足石。
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